
ひもとく島津家・集成館
(お子様向けの解説)
このページでは、島津家や尚古集成館について、やさしい言葉で紹介しています。
島津家とは

島津家は、源頼朝(みなもとのよりとも)から南九州に広がる日本最大級の荘園・島津荘(しまづのしょう)を治める役割を与えられた惟宗忠久(これむねただひさ)が、「島津」を姓としたことにはじまります。
島津荘は、現代の地図で表現すると、鹿児島県の全域と、宮崎県の南側(一部)という、とても広大な領域でした。
鎌倉時代から約700年間にわたって南九州を治め、今も、鹿児島の地で、人々とともにありつづけています。
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大正12年(1923)に開館した、100年以上の歴史をほこる歴史博物館です。南九州を700年以上治めてきた島津家に伝わる、さまざまな歴史資料を大切に保存しています。
博物館の名前である「尚古集成館」が、どういう意味かというと
・「尚古」が、古いものや歴史があるものを大切にすること
・「集成館」が、かつて鹿児島市の磯にあった工場群(工業地帯)の名前
です。かつて工場群・集成館があった場所で、島津家の歴史を守り伝える博物館として開館しました。
この博物館の中では、みなさんに島津家の歴史や、鹿児島を取りかこむ広い海を通じて外国とつながっていた物語などを学んでもらうことができます。
尚古集成館の建物は、
「旧集成館機械工場」という一面も持っています。
博物館で工場とは、どういうことでしょうか。

旧集成館機械工場とは
尚古集成館の建物は、機械工場としてつくられたものです。かつて、ここでは多くの人がはたらいていました。建物の正しい名前は「旧集成館機械工場」といいます。
・旧=かつて
・工場群 集成館の中で、ものづくりをしていた
・機械工場の建物
という意味です。
この建物は、日本において「今も残っている、もっとも古い洋風工場建築物」として、重要文化財に指定されています。
かつて、この工場では、船の部品や工作機械をつくっていました。時代が変わって、工場としての役割が不要になっても、建物はきれいに残されていました。そこで「島津家の歴史を伝える博物館にしよう!」と、博物館に生まれかわったのです。
*重要文化財:国が「未来にひきつぐべき」とみとめて、守っていくと決めた有形の宝物

世界文化遺産
「明治日本の産業革命遺産」とは
わたしたち、尚古集成館の建物を含む、磯のエリアは世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」として
登録されています。世界遺産とは、どういうものなのか。どうして、鹿児島が世界にみとめられているのか。
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島津家の家紋
皆さんは「家紋(かもん)」を知っていますか。家紋とは、自分のつらなる一族(たとえば家族)をしきべつするための印のことです。
皆さんの家にも、家紋があるかもしれません。
島津家には、次に紹介するような家紋が伝わっています。
1. 十字紋、丸十紋
「島津家の家紋」として、一番有名なものは丸十紋です。
鹿児島県にいると、色々な場所で丸十紋を見かけることがあるので「鹿児島のマーク」だと思っている人もいますが、島津家の家紋です。
もともと、島津家の家紋は、まわりを丸でかこっていない十字紋でした。
尚古集成館に伝わっている、初代忠久のよろいについている家紋も「十」です。
フランシスコ・ザビエルの手紙にも「島津家当主が白い十字をつけていた」ことが書かれています。


どうして「十」なのかという理由は、いろいろと考えられています。
・2匹の龍をあらわしている
・源頼朝が、2本の箸(はし)で十字を作って、これを家紋としてあたえた
・災いから身を守り、しあわせを招くという中国の風習
などです。
時代が進み、戦国時代の終わりごろから、この十字を丸でかこんだ「丸十紋」が見られるようになりました。
なぜ丸でかこわれたのか、具体的な理由ははっきりとわかっていません。
丸でかこっていると、格式高い印象を受けますね。
2. 桐紋

島津家では「初代・島津忠久が、近衛(このえ)家からいただいた」とされています。
桐という植物は、むかしから鳳凰(めでたいものとされた想像上の鳥)が集まる木として大切にされてきました。
この桐の花と葉っぱをかたどった桐紋は、鎌倉時代から朝廷(天皇や貴族たち)で使われていて、のちに手がらを立てるなどした武士たちにも授けられるようになりました。
3. 牡丹紋

牡丹紋も、桐紋と同じく「近衛家からいただいた」とされています。
島津家は近衛家とまったく同じものを使うのはどうかと考えて、形を少しかえた牡丹紋を使っていた時期がありました。しかし、江戸時代の終わりになると、近衛家と同じ形の紋が使われています。
お姫様のひな道具や、お殿様の刀の鞘に、牡丹紋がデザインされていますよ。